1999年といえば、11年振りの優勝。
私の世代からしたら、最も印象に残っている年でしょう。
その年、ルーキーの福留は星野監督に我慢強く使われました。
打撃もショートの守備も粗さが目立ったものの、132試合に出場。
16本のホームランを打ちました。
初ホームランは4月16日。
チームがリーグタイ記録の開幕11連勝を決めたG戦でした。
この試合、私は東京ドームで観戦しました。
当時、私は水道橋にある大学の夜間部へ通っていました。
開幕10連勝中のドラゴンズを見たい!
ということで、ドラファンの同志と学校を抜け出して、
試合途中に立ち見チケットを購入。
さあ、ドーム内へ入るぞという時、入り口から見えたオーロラビジョン。
そこにはゆっくりとダイヤモンドを回る福留の姿が映し出されていました。
「え!?福留ホームラン打った!?」
あの時の嬉しいような、タッチの差で見逃して悔しいような、
複雑な気持ちは忘れられません。
いや、完全に悔しい気持ちが勝っていました。
見たかったですよ、、、
2年目3年目は苦しんだ福留孝介。
と言っても、OPSは.790台。
ボールの違いはあれど、今のドラゴンズならトップレベルの成績です(笑)
飛躍したのは首位打者を獲った4年目。
当時の私は東京で1人暮らしをしていました。
しかも、プーさんで自由だった春、神宮球場のOP戦を見に行きました。
外野へ完全にコンバートされた福留孝介は、
ヒットのボールを蹴飛ばして3塁まで行かれたり、
相変わらず守備では粗さを見せていました。
その後適応して鉄壁のライトに成長しましたが。
ただ、打席の雰囲気は活躍を確信させるものでした。
どっしりと腰が据わっていて、打つオーラがムンムン感じられました。
その日の夜、ジャイアンツファンの知人とチャットして、
「今年の福留は3割20本打ちます」
と宣言し、軽くあしらわれたのを覚えています。
.343で首位打者までは予想できませんでしたが(^-^;
その後の活躍は周知の通り。
落合監督初年度で優勝した2004年、日本一になった2007年と、
印象深い年に試合中の大きな怪我があったのは残念でしたが、
間違いなくドラゴンズの顔でした。
もちろん、素晴らしい数字を残しているのでよく打ってくれたのですが、
とにかく勝負強さが印象に残っている選手です。
ここで打ってくれという場面で打ってくれた。
通算100号は東京ドームで上原から打った特大アーチでした。
2006年の優勝を決めた試合の延長12回決勝タイムリーも当然印象的。
そして、第一回WBC準決勝の韓国戦で打った代打ホームラン。
名場面がいくつもあります。
そんな中でも1番印象に残っているのは、
2006年、豊橋でのカープ戦で打った決勝ホームラン。
とにかく見ててストレスが大きかった打撃戦の試合で、
祈るように見ていた所で完璧に打ってくれた。
めったくそスカっ!!!とした一発で、
福留孝介の頼もしさを最も表した一打だったと思います。
https://www.youtube.com/watch?v=eAHX1Po64RY
↑
現在、YouTubeにありました。
はい、こんな感じで私には思い出、思い入れがあります。
どんなに衰えた、もうダメだと言われても、
ドラゴンズに戻ってきてくれたことは嬉しいし、
またやってくれると期待してしまいます。
復帰会見は控え目でしたが、
もうひと花咲かせて、堂々と、
『ドラゴンズの福留孝介』
に戻って欲しいですね。
コメント