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復活なるか、岩瀬

岩瀬投手が2度目のブルペン投球を「しっくりこない」と、たった16球で終えたそうです。
大事とまではいきませんが、心配なニュースです。

岩瀬投手といえば、言うまでもなくまさにレジェンド。
こんなにも凄まじい数字を残しているのに、あまり称えられません。
そこがまた凄さ。それが当たり前のような感覚になってしまっているわけで。
この記事を書こうとして、改めて通算成績を見ましたが、ホント凄まじいです。

99年のルーキーイヤー。
ドラファンにとっては忘れられない年です。
何度も期待して裏切られ悔しい2位ばかりだったドラゴンズが11年振りに優勝。
その優勝に大きく貢献した中継ぎ抑えカルテットの1人が岩瀬でした。
1番苦しい場面で出てきて回跨ぎもアリのまさにフル回転。
優勝を決めた神宮でも勝利投手。打者をキリキリ舞いさせました。
大学3年生という身分を生かして(笑)、当日券をゲットして観戦していた自分も打たれる気がしなかったのを鮮明に覚えています。

そこから15年連続50試合以上登板、400S・・・
凄過ぎて凄さが伝わらないという凄さ。もう訳が分かりません(笑)

そんな岩瀬投手にも、選手生命の危機がありました。
北京オリンピックです。

星野監督が、予選から大事な場面で中継ぎに投入したのが、岩瀬と川上でした。
先程の99年に星野監督の元で活躍した2人です。
シーズン中という難しい時期に酷使できたのがこの2人だったというのは仕方の無い事です。
しかし、結果が最悪で、しかも岩瀬はGG佐藤と共に戦犯扱いをされました。
その2人を守ろうとするような動き、言葉が星野監督に無かったことはショックでした。
星野監督が好きだっただけに。。

そして、帰国後の岩瀬投手は憔悴。
ホテルで落合監督の部屋を川上投手と共に訪ね、落合監督に休めと言われたのを、
「1人になったら何をするか分からないので1軍に置いて下さい」
と断ったこと。殺人予告まであって警察沙汰にまでなっていたことには驚きました。
このエピソードは落合さんの講演会で直接聞いたものなので、実話です。
(落合さんが大嘘つきでない限り^^;)
そんな岩瀬を見ていたチームメイトが次のWBC参加をためらうのも当然です。
しかも、故障していた選手も選ばれたわけで。

そして、断った選手を絶対に漏らさないということだったのにそれを漏らしてあの報道。
「誰とは言わないけど、野球で勝てないからそういう攻撃をしてきたんでしょう(笑)」
と、笑い話で済ませていましたが、いまだにボイコットと叩く人がいるんですから怖いですね。
こういうことを書くと、オチシンの一言で終わってしまうんですが^^;

しかし、そんな大ピンチも乗り切って、その年も50試合以上登板。
そしてその後2年連続で最優秀救援投手になった岩瀬投手。
まさに身も心も鉄人です。

そんな岩瀬投手も、昨年ついに故障で50試合登板できませんでした。
そして、今回のこの心配なニュース。

福谷が出てきたものの、やっぱり岩瀬がいるといないでは大違い。
ぜひまたこのピンチを乗り切って、しれーっと復活して欲しいです。

福谷が今年も好調ならば、福谷の方がもちろん安心ですが^^;

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