まだ信じられません。
つい最近まで元気にドラゴンズに苦言を呈していた印象があったので。
朝ネットで見出しを見た時は、いわゆる釣りのネタ記事だろうと。
私がプロ野球に興味を持ち始めたのが1985年頃。
そして、1988年に星野監督で優勝。
そこから11年掛かって1999年、また星野監督で優勝。
何度か書いていますが、やはりこの優勝が1番嬉しかった。
神宮球場で星野監督の胴上げを見たのは最高の思い出であり自慢です。
なので今後も何回も書くでしょう。
今となっては鉄拳制裁など色々と言われることはありますが、
ファンにとっては本当に頼もしい監督でした。
年に何度か関東のスポーツニュースにも出演していました。
そのたびに食い入るようにテレビを見て、自然と笑顔になっている自分がいました。
星野監督にはそんな魅力がありました。
とにかくファンを喜ばせるツボを知っていたのだと思います。
近年、ドラゴンズ関連の番組に出て、
「私が落合をドラゴンズに連れてきたせいで名古屋の皆さんにご迷惑を掛けている」
みたいな事を言って謝罪していたのも、本当にツボを知ってるなあと。
オチアンもオチシンもどっちも喜ぶ発言ですもんね。
私はオチシンですが、笑えました。
落合さんとの関係については書いたらキリが無いし、こんな時なので割愛します。
当然、選手やスタッフに対してもそうだったのでしょう。
昔の鉄拳はアレですし、当時反発していた選手もいたでしょうが、
結果感謝している選手がほとんどの印象。
山本昌もそうだし、荒木もそう。
楽天の人でありながら、荒木の2000本安打達成時にしっかり花束を渡しに来たのもさすがでした。
コロっと阪神の監督になった時、北京オリンピックのもろもろ等、
正直嫌いになりそうになった件にも触れないわけにはいきませんが、
こうなった今振り返ると、ドラゴンズファンとして感謝の気持ちが大きいです。
完全なる個人的な思いとしては、
1度、落合さんと対談して欲しかったなあと。
今回も落合さんのことだから、マスコミにコメントは出さないでしょう。
残念でなりません。
コメント
闘将星野仙一氏の早逝は、プロ野球界で惜しむ声で一杯です。選手、監督、GMと功績は多大です。
猛烈に、野球人生を駆け抜けた野球人でした。
2度目の優勝に20年もかかった中日の、優勝決定投手でした。実力とめぐりあわせでしょうか。
投手星野は内角を鋭く突く、威圧型投法で、やや球速不足をうまく補い、変化球で散らしていました。
不振だった島岡御大・明大の救世主として、1年春からの登板が、全国区へのスタートでした。
中日球場時代(当時の最寄りの名鉄駅は、中日球場前でした)の星がひとつ消えました。
>ナゴヤ球場前さん
現役時代を知っている方々にとっては益々衝撃だったことでしょう。
今でもまだ信じられません。
春の追悼試合くらいで実感が湧いてくるのでしょうか。